日帰り温泉と海津大崎の桜・・・山崩諸霊之塔ヒワヒストリー |
一月ですが、連日三月ごろの陽気ですか・・・・

海津大崎を通って来ました。「三月に入ると暖かくなる」との予報。大阪のサクラ開花予想は、3月26日とのことですが・・・・

須賀谷温泉に行くときは、霞・PM2.5ですか・・・帰りのびわ湖、霞が薄れていましたネ
オクヤマの朝 気温2℃ 山霧で曇りのちハレ。今日の最高気温7.5℃、最低気温0.1℃でした。

朝チャイを飲んだら・・・「須賀谷温泉通いを」と、ご人。
フロセットをゴン太号に積んで「行く前に生協を出す」と。久一さん宅の生協置き場に注文書だして、Uターンして針畑街道を下りて家の前まで来たら・・・
お宮さんの方から選挙カーが。ゴン太号を庭に入れて待ちます。

来たのは藤田さん選挙カーでした。止まって、降りてきたのは一期で議員を止めた・・・こちらの手伝いをと。暫し立ち話をして、上に向かう選挙カーを見送って針畑街道をおりまたヨ。
何時ものルートで、須賀谷温泉通いを。回数券をフロントに渡して・・・ユックリと芯まで暖まり、日帰り温泉を堪能。

帰りは、チョイ遅めのひるメシタイム。ボクは韓国グラタン、ご人は新発売のお茶づけを。

帰りは、大浦の「みつとし本舗」に寄ってピーナツせんべいをゲット。海津大崎に向かって湖岸ドライブを、でした。

そうそう・・・走っていて「選挙カーと会わなかったなぁ」と言っていたら、梅の木・前川橋でデジカメショットしているとき、公明党のあいはらさん選挙カーと・・大津市なので、ハイ。
先日、「山崩諸霊之塔」を覗きに行ったことを、ブログに載せましたが・・・・
そのブログを見た梅ノ木生まれで、現在は埼玉県にお住いのNさんから、碑発見のヒワヒストリーについて、メールを頂いたので、紹介を。
私と友達が小学校の5年生くらいの時、4人でかくれんぼをしていて、私の友達が、山を切り崩した斜面で、座っていた石に、なんか文字が書いてあるってことになり、みんなで運んで、平らな所までもってきたことを覚えています。年上の子が2人で座っていて、見つけたんですが、当時、崩の字が、誰も読めなくて、山山月月って読ませてましたね。諸霊之塔は、年上の子が読んでました、みんな小学生でした。おそらく1967、8年の頃で、春休みだったと思います。
後になって、記述から、寛文二(1662)年の琵琶湖西岸地震(「寛文地震」または「寛文二年の近江・若狭地震」)の100年後の慰霊祭(町居崩れで約560 人が犠牲になったようです)で建立されたものだと、わかりました、その後、三枚谷の土石流で埋もれてしまっていたのですが、石楠花山荘の新築に伴って山を切り崩した際、斜面から見つかったものです。

梅ノ木の普請で、今ある位置に建て直されて、和尚さんによって供養法要も営まれました。子供でしたが一応参列しました。今から、55年くらい前の事です、縁を感じる石塔ですね。まだ、発見した所辺りに、石碑などが埋まっているのかもしれませんね、三枚谷の土石流で埋まった・・・・・
奈良時代に木材を平城京へ搬出した記録が残る山村、滋賀県高島市朽木小川には、筏流しの神を祀る思子淵(しこぶち)神社への信仰をはじめ、昔ながらの民俗行事が受け継がれてきた。榊治子・著者が、おばあさん、おじいさんによる語り言葉をそのまま用いて、集落の寺事、祝い事、普請、山仕事、麻布作りのことなどをまとめた、学者による記録とはひと味違った民俗誌風フォトエッセイ。
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ボク、 ゴン太! 大阪から父と二人で、滋賀の奥山・朽木小川に移住。柴犬・ゴン太くんとの奥山暮らしを、写真と文で綴る一冊です。「ボク ゴン太!」と「聞き書き 朽木小川」・・・サンライズ出版、お近くの書店・又は取り寄せ購入も。Amazonでの取り寄せ購入もできますヨ。我が家にも在庫あり!




